おススメ度★★★★(日本の原爆開発に興味のある方)
日本は原爆を作ろうとしている。
戦中派の日本人には良く知られた話だ。
「マッチ箱1つほどで軍艦が吹き飛ぶほどの爆弾を今開発中だ」
「1つの爆弾で都市が吹き飛ぶ爆弾を作っている」
防空壕で、集会で、よく聞いた話だという。
そして、この起死回生を信じ、戦場で少しでも敵の進行を少しでも食い止めるため、命を散らした多くの日本人。
本書は、日本の原爆開発の中心人物「物理学者 仁科芳雄(にしな よしお)」の戦中・戦後を焦点に、彼の生涯を追って行く。
広島に原爆が落とされ、その国内調査団の中心人物として現地に向かう際に、切腹を覚悟する旨を書き残した心情。そして、恐らくは原爆による凄惨な惨状を目にした瞬間、大変な衝撃を受け、その存在意義を誰よりも理解し、核兵器が蔓延する後世に想いを寄せた。そして、科学者として核廃絶に邁進して行く。
あらまし
生い立ちから学生時代・最年少主任研究員
(第一章 欧州への留学
第二章 現代の錬金術)
岡山県里庄町に1890年庄屋の四男として生まれた仁科芳雄は、旧制中学を首席で卒業し、高校に入学するものの、病気で度々入院を強いられる。
東大工学部電気工学に進学し、東芝への就職を蹴って、大学院で電気化学を専攻すると共に、理化学研究所に入所する。あの有名な素粒子物理学者 長岡半太郎と知己を得たりして、欧州留学へ。ラザフォード、ボーア、マックス・ボルン、ディラック、ハイゼンベルク、パウリ、ガモフなど素粒子物理学者の大家に知己を得て、ボーアの元で研究を開始・没頭し、クライン=仁科の公式など成果を上げる。
1928年日本へ帰国すると、理化学研究所に所属し、ハイゼンベルクなどを招聘し講演会などを成功させると共に、各地で講演を行った。この講演なに触発され、のちのノーベル賞物理学者 湯川秀樹、朝永振一郎などが量子論に目覚める結果となる。
そして、世界で二番目に量子論の実験・研究に必要な実験装置サイクロトロンを完成させる。
日本の原爆開発
素粒子の研究が進むと、核分裂による大量のエネルギーが取り出せることが発見され、世界は核爆弾開発・原子力発電開発へ突き進む。
太平洋戦争開始直前より、軍は仁科研に爆弾の製造の研究委託を始める。
その初期段階での理論研究で原爆の威力を計算するが、それはほぼ広島の原爆の威力と同等だった。
研究はウランの濃縮法などが行われたが、肝心のウランが手に入らず、爆弾製造はもとより研究もおぼつかなくなる。軍はドイツにウラン鉱石を送ってもらう様に依頼し実現するが、輸送中に撃沈されるなどして入手はできなかった。
研究はとん挫すると共に、米英においても原爆製造は困難との調査報告がされ、大々的な爆弾開発は打ち切られ、理論研究などへ推移して行く。しかし、冒頭でも記載した通り、軍は開発打ち切りなどを秘匿し、逆に開発中で、開発の暁にはつらい局面が反転するので、しばらく耐え忍ぶように喧伝して行く。
マンハッタン計画・原爆投下
周知のように、米国ではマンハッタン計画のもと原爆開発が進んでゆき、広島に長崎に原爆が落とされる。
仁科は軍の被害調査の一員として招聘される。出発前に、伝え聞く被害状況から米国の原爆であること想定し、先に開発できなかった(先を越された)自責の念から節婦を覚悟・書き残して出発する。広島へいち早く空路で入り、原爆であること・その性能などを報告すると共に、飛行機の操縦士へはいち早く立ち去る事・調査などに当たる者へは白血球を調べながら上昇したら離れること等を指示して行く。
その後、長崎などでも調査に加わり、放射線濃度などを調べ、貴重な記録を残して行く。
仁科自身は、広島・長崎の惨状を目のあたりにすることで、自分自身がこの惨状を作り上げようとしてていたことを猛省し、世界にこのような兵器があってはならないと強く思い研究所に舞い戻る。そして、研究に邁進して行く。
戦後・そして死・核兵器の管理
戦後、アメリカからの調査団が来て仁科を尋問するが、予算規模などから学術研究にとどまっている旨の報告がされる。そして、素粒子研究は続けられるが、行き違いから実験装置のサイクロトロンが米軍によって東京湾に投棄されてしまう。
その後、仁科は学術会議などに参加し、核兵器の国際管理の提言などを発信・主導して行く。
そして、湯川秀樹がノーベル賞受賞の方を聞き喜び、数々の寄稿などを残す。
しかし、放射線の影響と思われる肝臓癌が発病し1951年なくなる。
第十章 衣鉢(いはつ)を継ぐもの
仁科が残したものとして、核の国際管理への熱望が、ラッセル=アインシュタイン宣言、湯川・朝永宣言など核廃絶への提言を紹介して行く。
エピローグ
原爆が今日にもたらしたものを考察して行く。
日本もアメリカも、原子爆弾であることの秘匿や、放射能被害の矮小化を通じて、家族の消息を確かめるために広島・長崎入りした人や、広島長崎に駐留した米兵などに原爆症がもたらされている状況を解説する。また、放射能被害の矮小化のためにアメリカが作成した核攻撃を受けた際の対処法のパンフレットを鵜呑みにして、現代日本でも核対処法のパンフレットが作成されている現況などを紹介する。
そして、仁科が監修した戦後直後に広島長崎に現地入りして取られた記録映画がGHQに取り上げられ米国へ送られてしまったが一部が返還されている旨が紹介されている。
読後感想
小生は、戦中派から日本でも核爆弾を開発していた旨(マッチ箱一個で戦艦が吹き飛ぶ)を聞いていたので、大変興味があった。NHKなども近年になって原発開発の特殊番組などを組んだことがあった。漫画「栄光無き天才たち」で理化学研究所が取り上げられて、仁科教授のことがかなり割かれていたので、いつか仁科先生の伝記などを読んでみたいと思っていたところに、本書を読む機会が得られた。
本書は、ちょっとボリュームがあるがたいへん読みやすく、文体も丁寧で良書だと思う。小生のように、日本の原爆開発や西先生を知りたい方にはお勧めの一冊。
最初の方のヤング仁科は軽快な筆で進むのだが、後年はやはり重さが伴う。最後の方の亡くなった後の核廃絶に向けた動きの記載は、仁科先生の遺志を継いでいるとはいえ、仁科先生の活動そのものではないので、ボリュームを落としても良いと感じた。
最後によけな文書を書き加えるが、小生はことさら被爆国日本を前面に出す風潮(被害者風潮)はどうかと思っている(この辺は、立花隆氏の論調と似ていると勝手に思っている)。本書のサブタイトルでもあるが、失敗したものの日本は原爆を作って使ってみようとしたのは事実であるし、忘れてはならない。そして現時点で戦争で唯一アメリカ本土を攻撃した国なのだ。潜水艦からの発艦(発艇?)した小型爆撃機が、西海岸を爆撃(銃撃)している。また、布と紙で作った風船爆弾は本土に着弾して被害を出している。これらは戦中に秘匿され、あまり一般に知られていない。
また、広島を見たチェ・ゲバラが、「こんなことをされて日本人は何故怒らないんだ」とつぶやいた伝説も、本書の後段を読みながら思い出してた。いや、静かに怒っている。原爆と云う兵器とその存在に。そんな風に思った。
栄光なき天才たちは、理化学研究所が版によって5巻だったり、6巻だったり、違ったりするのでご注意ください。
関連リンク
本ブログの関連記事です
赤い屍体と黒い屍体、引揚者と被爆者「立花隆 最後に語り伝えたいこと」 読書感想(読み直し)
死なないと、帰れない島 酒井聡平著 読書感想
冤罪の深層 追跡・大川原化工機事件 石原大史 著 読書感想
日航123便墜落事件 四十年の真実 青山透子 著 読書感想
僕には鳥の言葉がわかる 鈴木 俊貴著 読書感想
列島縦断 日本の墓 失われゆく墓石を訪ねる 関根達人著 読書感想
クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 語り手 姉崎 等 聞き手 片山 龍峯 読書感想
外部リンクです
仁科芳雄 – Wikipedia
仁科会館
仁科芳雄博士について : 仁科会館
里庄町の偉人 – 里庄町公式ホームページ
ノンフィクション作家・上山明博のホームページ
上山明博 – Wikipedia
日本の原子爆弾開発 – Wikipedia
内閣官房 国民保護ポータルサイト
武力攻撃やテロなどから身を守るために(パンフレット) – 内閣官房 国民保護ポータルサイト
