風光明媚な南の島。南国の花が咲き、サトウキビ畑の中を牛車が物や人を運ぶ。海からの風は爽やかで波間を色とりどりの帆が立つカヌーが行き交う。小高い山に登れば島全体が見渡せ、見渡す限りの海。子供は土の上を裸足で駆け抜け、人々はやさしく語りかけてくれる・・・・どこも笑顔であふれる。
そんな都会の喧騒から切り離された「南の島」・・・本書を読んで描き出される光景。
そんな島からの命からがらの脱出、島内で犠牲になる人々、そして生き残った者の苦悩。島に帰りたいのに帰れない・・・そして島を託されて行く子供たち。
作家 酒井聡平さん
北海道新聞記者。新聞記者であると同時に、オフでは戦争などに関する歴史を取材する自称「旧聞記者」。東京支社所属中に皇室担当、厚生労働省担当(戦没者遺骨収集事業なども含む)なども歴任。自身も祖父が小笠原の通信兵であった縁から硫黄島の遺骨収集に参加する。そして、日本国内でありながら遺骨収集が進まない実態や理由に迫った前著「硫黄島上陸 友軍ハ地下ニアリ」は第11回山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞する。
本書の内容
本書では、硫黄島が激戦に飲み込まれる以前の硫黄島の住民の和やかな南国の生活を紹介すると共に、その住民が硫黄島の激戦に巻き込まれて行く様子、戦闘を前に本土に疎開(避難した人)、激戦に参加して僅かに生き残った人々のその後の様子。そして、生き残った人々が、かつて居住していた硫黄島に<生きて>帰れない実態と、その理由を1つ1つ解き明かして行く。そして、公開された日米の極秘文書などを探し当て、驚愕の戦後史に一端に触れ、帰島や生活保障などに尽力した人々の努力と、帰島を阻害する要因を明らかにして行く。
著者の自身に運命的に課せられた硫黄島問題に、記者としての取材力と共に、おそらくは著者の人柄による関係者を引き付ける魅力による出会い、そして島民から、南国の生活や帰島運動の困難等を聞き出し、まとめて、また推論して行く。
戦後八十年。すでに硫黄島から疎開した人たちは高齢で、近いうちにインタビューできなくなることが予想される。この本で語られる思い出は貴重な言葉となるに違いない。
読書感想
硫黄島の太平洋戦争中の激戦は、近年ではクリント・イーストウッド監督の硫黄島二大作品『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』で知られる。硫黄島に関連する著作も多いが、ほぼ太平洋戦争中の硫黄島での激戦について語られる。特に、栗林中将が作戦指揮した徹底抗戦により想定外の苦戦を強いられるアメリカ軍と、その勝利の象徴である山頂の星条旗が掲げられるシーンは有名である。
戦闘で要塞化した硫黄島は、岩がゴロゴロするような無機質な、雑草しか生えないような火山島として描かれる。
小生も、子供の頃に読んだ「ゼロ戦 坂井中尉の記録」に出てくる硫黄島は、雨水が貴重で、地面を掘れば湯気が出てくるような土地柄で、坂井氏の硫黄島の激戦ぶりとその後の東京へ戻った際の平和で静かな情景の落差の坂井氏の驚きが印象に残っている。そう、勝手に硫黄島は、雑草しか生えない不毛な岩がゴロゴロした、パイプ山に象徴される火山島を、そして戦争がなければ利用価値が無い様な島をイメージしていた。
しかし、本書前半に描かれる戦前の硫黄島は、近隣の小笠原諸島や、日本国内の南国の代表格である沖縄の島々と同様な、豊かな自然あふれる牧歌的な南国である。島内はサトウキビ畑が広がり、遠浅の海岸線が広がる海での漁業は色とりどりの帆たてたカヌーが風に乗り行き交う。本土からの船がつけば、大きな荷物は牛車が運ぶ。そんなゆったりした時間と陽光溢れる南国。
そんな牧歌的な硫黄島に戦争の影が忍び寄り、いよいよ決戦となる直前に、命令により島民は二分される。16歳以上の男子は軍への協力者として島に残留し、戦闘に巻き込まれ、生き残った者はごく少数。
その他の島民は、潜水艦におびえながら日本本土へ船で引揚げ・疎開する。親戚を頼る者、国のあっせんで各地に散りバラバラになってゆく。東京に住んだ人々は東京大空襲に巻き込まれたり苦難の連続。
戦後の苦難も続く。沖縄などと同様に米軍の占領下に置かれ、帰島は叶わない。そのうえで、沖縄や小笠原同様、日本に返還されるのだが、何故か硫黄島の島民には帰島は許されない。
帰島が許されない理由は、表向きの理由は火山活動等で、実際硫黄島の海岸線は火山活動により隆起を続けているらしい。しかし、島民はそのような火山活動は承知の上だ。帰島を強行する動きもあったようだが、説得され断念する。そして、帰島できない本当の理由を探って行くのが、本書の後段である。
現在、硫黄島は、自衛隊の基地があり、自衛隊員だけが常駐する。また米軍の通信基地も残っているらしい。これらから、国土庁と防衛庁のやり取りや、米国の公開された公文書を調査し、驚きの事実を明らかにして行く・・・・。
那須高原
閑話休題、本書の関連取材で、那須高原に取材に行く。那須高原と言えば、那須の御用邸に代表?される日本有数の別荘地です。その那須高原は、硫黄島島民のいくつかのグループの疎開先・国の斡旋された戦後の開拓地らしい。小生、他の文献・TV番組で満州(中国東北地方)開拓民の戦後の引揚先として、満州開拓で苦労した人々が(岐阜県ひるがのと共に)那須の原生林を開拓する様(不況不作で日本を離れ、満州で原野を開拓・開墾し、戦争で開拓地を追われ、帰国したら不毛の地の開拓・・・四重苦)を聞いたことはあったが、硫黄島の島民が開拓された話は初耳であった。まったくの脱線ネタだが、現在の那須は別荘地として有名で(本書でも最後の方でそのくだりが出てくる)、小生も若かりし頃、那須の貸別荘に宿泊した際に、夜中に花火をあげて地元住民に怒られたことがある・・・・・もっと、詳しく書くと、さすがに別荘地では花火をあげる時間としては遅すぎると考えて、離れた山間に移動して花火をあげたのだが、しばらくして地元の方が来られて、音が響くのでやめて欲しいとやんわり叱られた。やさしい口調が耳に残っているので、もしかしたら硫黄島出身の方だったかも・・・などと本書を読みながら、思い返した。そして、このやさしさが、本書では重要なポイントとして語られる。
本書は、新聞記者の力作で、たいへん読みやすい。文章の表現力も豊かで、貴重な人々からのインタビューも盛りだくさん。たいへん、おススメの一冊です。実際、タイトル通りの現実ではあるのですが、島民の気質と言うか、南国の気質と言うか、何かがインクに染み出ていて、タイトルの様な真っ暗な気持ちで読み終わることはないです。でも・・・
島民の早期帰島実現を・・・
いろいろな事情が、いまだに横たわってると言え、疎開島民の帰島実現を。
大昔、バイト先のエレベーターに石原慎太郎が乗ってきて、(その時間はエレベーターがバイト専用だったので)出てってくれと言ったら、バイト先の社長に本人から電話がかかってきた(その後、秘書から厳重注意の電話もかかってきた)事があったので、その当時にこの硫黄島の状況を知っていたら文句言ったのに・・・・・もしも、ですみません。
東京都知事は、本発刊を機に、都民の帰還・帰島に、素早く反応して欲しいです(都庁の臨時職員として採用して派遣してもいいし・・・東京都の領土なんですから)。もしも、都知事が大学でてなくったって、小生は騒ぎませんので・・・・、どうかよろしくお願い致します。
硫黄島関連の記述は、p245~p335。ほぼ、空戦の記述ですが、ところどころ、硫黄島での兵士同志の交流が描かれます。残念ながら、上記の書では本土に引き上げてからの記述は、水がうまかったくらいしかなく、子供向け本に記載されていた帰還後の労いの宴に参加して、同時刻に激戦中の硫黄島と自分の周りのゆったりとした時間の矛盾を感じる記述はありません。
(子供の頃に読んだ本は下記です・・・下記写真はAmazonのリンクです)

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関係外部リンク
硫黄島 (東京都) – Wikipedia
硫黄島 | 小笠原村公式サイト
気象庁 | 硫黄島

