我家の家訓|人はみな、へそを持っている

人はみな臍を持っている 我家の家訓

 当家の家訓、当家と云ってもそこら辺にいる核家族で、家訓を引き継ぐような家ではない。一応、親に言われたことを家訓と称している。今回、簡単にご紹介するのは、子供に向けて、付け加えた1つ。

たぶん、浮谷東次郎さんの言葉だった

 たぶん、浮谷東次郎さんの「がむしゃら1500キロ」か「オートバイと初恋と」か「俺様の宝石さ」の3部作の中に出てきた言葉だと思う。
 浮谷東次郎さんも映画かおじさんに言われた言葉だったと思う。

深い意味、浅い意味

 「へそを持っている」ということの意味は、なかなか深い。

 1つは、みんな持っている。皆、自分と同じ人間なんだということだ。
 だれもが持つ共通点で、誰もが母親から生まれてきたことを示している。
 どんな奴も一緒だ・・・っと云うことを肝に銘じてほしい。

 いろいろな場面で、人から見下されたり、人を見下したくなる事はあると思うが、その彼/彼女もへそを持っているということを、どんな時でも忘れないで欲しい。

 区別や差別をする前に、同じ人間だという当たり前のことを思い出してほしい。言葉が通じなくても、分かり合えなくても・・・・。そこを出発点にして欲しい。

日本人として

 日本人の象徴する臓器はへそだと思っている。
 日本人は、重心を意識する。
 重心の象徴こそ、へそであり、腹であり、肝であり、腰である。

 だから、へそを意識して欲しい。

 重心ということは、代表であり、全部の象徴点である。
 腹を決めろともいうし、腰をすえろともいう。
 何かを決める、決断する時にも、重心を意識して欲しい。

へそを持っていない人

 一度だけ、臍を持っていないという人に会ったことがある。
 「見せてやる」と言われ、実際見せつけられたのだが・・・・

 何らかの理由で「臍がない人」もいると言うことも忘れないで欲しい。
 たぶん、その人はそのことを気にしていたと思う。

 もちろん、その人も同じ人間だ。

関連リンク

 浮谷東次郎 – Wikipedia

↑小児科医(子育て関連本で著名な)松田 道雄さんの序文(はじめに)がとってもいいです。
 「資質と云うものは生涯を通じて持ち主を幸福にするものではない」
 「エネルギーのさかんな人間は、さまざまの方向にのびようとする資質をおさえきれない」
 「持って生まれた能力を完全燃焼させる快感が幸福であるから、こういう人間は人生で何度も幸福であり得る」


 



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